ありのままで
2015.01.03 Saturday 19:27
高校時代の同級生にたまたま会った。
あちらは気づいていない。
高校時代も私の存在をほとんど意識していなかった
はずだ。
でも、私は彼が小説を書いていて作文能力が高いことを
知っていて、密かに敬意を持っていた。

あれから何年たったのか。
頭は薄くなり、中年の顔になった同級生。
表情は暗く、現状の不幸を物語っていた。
高校時代の輝きを知っている私は、
声をかけることも出来ずに通りすぎた。
悲しみがやってきた。
何故、悲しいのか?
それは私の頭の中には「輝いていた高校時代の彼」がいて、
そのイメージのギャップが悲しみの源だ。

世界は常に変化していて、止まらない。
「常に変化している」
たとえば「私と彼は老けた、もう高校生ではない」
これは悲劇ではなくて、重力のようにあたりまえの
現象だ。
でも、自分の「若々しい自分」という脳内イメージを
掴んで放さないと苦しみの原因になる。
若さにしがみつき、あらゆる努力をして、変化に抗って、
最後には敗れることになる。

最近流行りの「ありのままで」は、
いかなる自己イメージも持たずに生きることだろう。
これは最高に難しいし、私もぜんぜん出来ないけど、
「私は◯◯よ!」という自己イメージをわざわざ意識
しないで生きるということだ。

虎は虎であることを意識していないで、ありのままに虎だし、
私は自分が人間であることを意識していないし、
どうすればもっと人間らしく見えるか、なんて考えもしない。
ほんとうの「ありのまま」は、なんの作為もない。

私は「高校生」ではない。
でも「おっさん」でもない。
でも「若者」でもない。
老人でもなければ、子供でもない。
あらゆる規定を超えていく必要がある。
あるがままだ。

もしも私が「おやじ」というイメージを受け入れると、
私の行動は規定されて、飛び回り走り回らなくなるだろう。
「私は◯◯です」は、自分を制限する。
自己イメージは自分の行動を規定して縛ってしまう。
あるがままを阻害する。

アナ雪のエルサが自分の力を解放する場面がある。
(娘が大好きだから、死ぬほど見せられた)
あれは「いい子であるべき、普通の女王であるべき」
という周囲が期待するアイデンティティを捨てて、
ありのままの自分の能力を解放した場面だ。
エルサは「雪の女王」というアイデンティティを選んだ
わけではない。
ただ自分を縛っていた「いい子であるべき、普通であるべき」
を手放して、力を解放した。
「私は雪の女王よ!」という歌ではなくて、
結果的に外から見たら雪の女王になった、ように見えるだけ。

「ありのまま」は深いです。
あなたは自分は何だと規定していますか?
そこから力を得ているとして、
それと同時に不自由な思いをしたり、
そのアイデンティティがゆえに見えなくなって
しまうものがあったりしませんか?

規定して、自分をいろいろなアイデンティティに
割れば割るほど
不自由で動きにくいです。
ありのままで、というのはあらゆる自己規程から
自由に生きるということで、
それは過去のいろいろな失敗や成功からも、
無縁に生きるということ。
たぶん、それは悟りの境地と呼ばれるもの
なんだろう。











こちらは英語に和訳の字幕がついたバージョン。
あたりまえだけど日本語版と歌詞が結構違う。
 





 
 
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