SF映画の技をリアルに解説するのは
アホのすることだけど、
以前からあの「オゥ、シット」という驚きはどういう意味なんだと
気になってそれっきり忘れていたことの意味が最近わかったので、
だれも望んでいなけれど更新。
さあ、皆さんご存知の「リベリオン」
もう二度と戦争を起こさないように感情の発露を抑える
「イクイリブリウム」という薬を常用することが義務になり、
絵画や音楽、あらゆる感情的な文化が禁じられた未来が舞台。
主人公のプレストンは、そんな社会の治安を維持する法の番人「クラリック」
ガン=カタという統計データを元にし、自らは相手の死角に入りつつ、
攻撃は合理的かつ効率的に行えるという銃撃の「型」の使い手。
あるときプレストンは、常用を義務づけられている感情抑制剤を
飲むこと怠ってしまう。
そこから、感情に目覚めたプレンストンの戦いが始まる、、、という
ような話。
動画はラストのシーンで、悪の親玉を暗殺しに行ったつもりが、
逆に罠にかかり、
「こんなにあっさりと我が手に落ちるとは、、、」と言われるシーン。
親玉に会うまえの検査として、感情を図る装置に繋がれたプレンストン。
罠に落ちた自分に激しく動揺するも、ある頂点に達すると、
「ピーーーー」と一気に感情がフラットになるのです。
そこで検査員が「オウ、シット、、、!」と言う。
そしてプレンストンが「まだ終わりじゃないぞ」と反撃を開始するのです。
長年、この感情の消失がなぜ「オウ、シット、、、!」なのかわからなかった。
だけど最近、ようやくわかった。
ガン=カタは、感情抑制剤の「イクイリブリウム」ありきの技なのです。
いくら過去の統計的に優位な型がわかったいても(あったとしたら)
銃口の前で、コンピューターのように計算づくに振る舞えるものではない。
恐れ、不安、あらゆるものが思考を奪い、本能的にひたすら物陰に隠れて、
むやみに発砲してしまう。
その感情を抑制するのがイクイリブリウム。
つまり、イクイリブリウムを使用していないプレンストンは
ガン=カタを使えない。
ガン=カタを使えないプレンストンは周囲を包囲している
兵士たちを倒せない、、、という結論なのです。
しかし、ここでプレンストンは自力で感情の消失、動揺を消し去って、
再びガン=カタの使い手になるのです。
だから「オウ、、、、シット!」なのですね。
最近、問題は表面的なことではないとようやくわかった。
たとえば、武蔵の逸話だったと思うのですが、
ある人が剣の心得を聞いて、武蔵は畳のへりを歩けるか?と
質問するのです(畳だったかどうかウロ覚えですが)
その人は「そんなことは楽勝です」とすいすい歩く。
武蔵は続けて「では、断崖の上であなたは畳のへりほどの道を
歩けますか?平地と同じように歩けるのが剣の心得です」というのです。
細い場所を歩く、というスキルの問題ではない。
落ちても平気な平地ではらくらくだけど、
断崖のうえでは恐怖心で膝が震え、腰が曲り、一歩も踏み出せなくなる。
それは「歩く」というスキルに問題があるからではなくて、
心の問題なのです。
これもウロ覚えのエピソードだけど、明治も終わりの頃、
剣の時代の末期の末期に、真剣を使った死闘があったのです。
観戦した人の証言によると、二人の剣士は
「エィ!」「うおおぅ!」と気合は凄いけど、まるで相手に
当たらない遠い遠い間合いで剣をぶんぶん降っていたそうです。
これを克服するのに、剣のスキルを磨いてもしょうがない。
剣を持ち、なおかつ真剣勝負をするような侍の末裔が、
剣の間合いを知らなかったり、自分の剣がどこまで届くのか
把握できないはずがない。
それをすべてぶちこわす恐怖。
スキルの問題ではなくて、心の問題なのです。
心がしっかりしていなかったら、技なんかいくらもって
いてもダメ、、、ということ。
よく「人と話すスキル」とか
「相手を味方にするスキル」とか、
本屋のビジネスコーナーに行ったら並んでいるけど、
そんなものは、そもそも「誠意」や「信頼できる人格」が
なかったら、なんの訳にもたたないただの知識だ。
うすっぺらいところを改善するよりも、
もっと根本的な改善をしないといけない。
剣が届かないのはフォームが悪いからではない。