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ララムリの日常
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2015.01.06 Tuesday 16:01私がリスペクトしまくっている民族ララムリ。
「走る民族」で、この間ララムリのドキュメンタリーが
やっていたので見たけれど、なるほどの連続だった。
80キロ、山道や未舗装の道を走るというウルトラマラソンで、
上位に入るくらいの持久力を持つこの人達が
普段どんなトレーニングをしているのか、と取材班が聞くと、
「普段は走っていない」
と運動不足の人みたいな返事をする。
でも、その生活は水汲みからはじまる。
標高2000メートルという
低酸素の世界で2キロ歩いて、1キロの崖みたいな急斜面を
下って、そこで20キロの水を組んで、また登るという
水汲みだ。
ありえん、、、、
生活即鍛錬だ
特別なトレーニングの時間なんてないけれど、
生きることが即鍛えることになっている。
なんて理想的なんだ、、、、、
そして、畑を耕すために放牧している牛を捕まえる。
牛舎なんてものは無いし、牛も耕すのなんて嫌だから
もちろん逃げる、次の仕事は
牛が疲れるまで走って追い回すのが次の仕事だ。
(走っとるやん、、、)
疲れた牛を投げ縄で捕獲して、畑を耕す。
畑はだだっぴろいので、耕す距離は
100キロを超える。
電気はないから、薪をとりに急斜面を降りる、
斧で木を倒す、そして薪を担いで急斜面を登る、、、、
私はけっこう肉体労働には自信があるけれど、
はたしてできるかしら、、と思ってしまう
鍛錬生活だ。
こんなヘビーな生活だから、何も担いてない
状態で走るのは娯楽なんだろう。
ララムリの遊びは1つの玉を蹴って、
も走るというものだ。
ララムリの男アルヌルフォは
「最初から最後まで楽しいよ」と
いっていたけれど、
立ち止まって玉を蹴って、
道からはずれた玉を追いかけて、
走ったり止まったりの繰り返しで
40キロちかく走るゲームが
遊びなのだ。
うむむ、すさまじい。
そして、なんてナチュラルなんだ。
鍛えるという意識なしに
鍛えられている、という状態は理想だ。
現代社会では、どんどんと体を動かす機会が
なくなっている。それは不幸なことだ。
ララムリの生き方はすごい参考になる。
私も雪がとけたら、ララムリが履いている
ゴムタイヤで作った薄いサンダル「ワラッチ」を
作って走ってみよう。
この番組ですた
「ワラッチ」という履物です。
日本の「ワラジ」が語源だとかそうでないとか。
ローマ人みたいでクールです。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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生きる道標、あなたは何民族ですか?
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2014.12.31 Wednesday 18:32学校に行ったけれど、
「いかにして生きるか」は習わなかった。
それは教えられるものではない。
人それぞれ違う。
だから目的も違う。
さて、あなたの「人生の目的」はなんだろう。
テレビは多数の人の興味があることを
流している。
普通に流れるままに生きれば、
「お金を稼ぐこと」
「遊ぶこと」
「旨いものを食うこと」
「生活を安定させること」
「健康に生きること」
が人生の目的になる。
人生をかけてやっていることを
見れば、だいたいそんなところに収まる
と思う。
何故そうなるかといえば、
確固たる道標がないからだ。
だから多数の人たちが目指していることに
巻き込まれてしまう。
だからいわゆる
日本人というアイデンティティを
自分の中でやめる、という選択もありえる。
だれにも言わなくてもいいけれど、
普通に染まることができないのなら、
違う民族として生きるべきだ。
ララムリは「走る民族」と呼ばれていて、
独自の生活スタイルをもっている。
いわゆる普通の日本人という枠の中にいたり、
一般常識の範囲内にいたら「走る民族」には
なれない。
だからあなたの、私の目指す目的に叶う生き方。
あたかも、少数民族のように
生きるべきではないかと思う。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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チエーン
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2014.12.30 Tuesday 15:28チェーンは弱いところから切れる。
これは人にも当てはまる。
たとえば、睡眠不足このうえない人がいて、
その人がいくら運動して、食事に気をつかい、
瞑想をしても、心身の健康は得られないだろう。
睡眠不足から、チェーンは切れる。
逆のパターンもある。
運動をすることで、食事が改善されて
よく眠れるようになって、体が元気になって、
瞑想も深まる。
なにか1つが強化される影響がほかに
広がっていく。
しかし、これは初歩のパターンで、
レベルの高いところでは、
すべてのチェーンが均一に強くないと
話にならない。
問題は、チェーンは何で構成されているのか?だ。
食事、睡眠、運動。
これは確実だ。
人によってこれから先は
組み合わせが違うかもしれない。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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2014年−2015年
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2014.12.29 Monday 08:122014年をふりかえる。
<陰>
「図書館の利用が再開」
2014年の年始に、もう図書館を使わない。
乱読しません、と決めたのだけれども、
読みたい本が多すぎて、結局読書ジャンキーに
戻る。
これは我慢できんかった、、、、、、
自分で購入する本は、一回読んでまた再読したいと
思える重要な本か、どうしても読みたいけど図書館に
ない本に限ることになった。
そして、いらない本は売るサイクルを繰り返すと、
人生の後半には、何千冊も読んだ本の中から、
自分の人生にとって重要なインパクトを与えた本
の図書館が残る。
人生をかけて選んだ本は、もしかしたら莫大な金額の
遺産に匹敵するかもしれない。
(子孫に読む能力がなかったらアレだけど)
「愛犬の死」
ペットロスの症状は日常生活ではでないけれど、
ときおり、リクが死んだ日に体験したことが
フラッシュバックする。
リクの遺体を冷やすために氷を買いにいった
コンビニに明かり。
コタツに入った時、足を伸ばすと布団に重いものが
あたるとリクがコタツ布団の上で寝ているのかと
錯覚するけど、座布団が置いてあるだけとか。
他のラブラドールをみたときとか。
<陽>
家族が無事過ごせたこと。
お酒をやめられたこと。
コーヒーをやめられたこと。
ヨガへの理解が進んだこと。
<2015年の目標>
秋口にフルマラソンに挑戦する
下記の本を読んで、走ることと有酸素運動の重要性に気づいたので、
2015年はフルマラソンに挑戦する。
走り方については<気>ランニングを参照。
太極拳の師にならったエッセンスをランニングに
応用という斬新な走法で、
こりゃいいわという感じ。
来年も変化できる年でありますように。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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知らないことばかりだ、と気づくこと
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2014.12.22 Monday 16:55知らないことばかりだ、と気づくことが
学ぶことの始まりだ。
「おれはそれを知っている」と思いこむと、
まったく学ばなくなる。
知っていることを今更なにを学ぶ?
「おれ、知らない」、は目が開かれた合図だ。
変化の兆しだ。
知りたい。
学びたい。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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39.5度
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2014.12.13 Saturday 15:0839.5度。
水曜日の夜に発熱しだして、
あっという間に高熱になった。
こ、これは確実にインフルエンザ!
と布団の中で震えていると、
翌日には症状がだいぶ緩和して、
お医者さんにいってインフルエンザの検査を
してみると陰性、、、、
お医者さんは
「あなたは熱が出やすい人だから、
39.5度でも普通の人の38度くらいで
見とかないいけないかもなぁ」と
言っていた。
いまはすっきりさっぱりです。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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失う可能性と本心
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2014.12.08 Monday 16:33私には娘と息子がいて、
娘は3歳で意思の疎通ができるので、
どちらかといえば娘のほうが可愛い。
女の子ということもあるし、
どちらかといえば、息子のほうは
奥さんに任せた、もっと喋れるように
なってからが私の出番だ、ぐらいに思っていた。
しかし、今日、病院に行った息子が
手術の可能性のある病気だとわかった。
よくある病気で命の危険はないとわかっている
けれど、万が一の命の失われる可能性を
思うと、いまさらながら自分がいかに
息子のことを大切に思っていたのか思い知らされる。
どうして危機のときにならないと、
本当の大切さがわからないんだろう。
いてあたりまえ、あってあたりまえ、
それは愚かなことだ。
人生の大地に穴が開いて、はじめて
口先で理解している「すべてのものは変化している」
の一端を体験する。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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愛って言葉は抵抗あるけど
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2014.12.07 Sunday 18:27本屋にいったら「愛なんて大っ嫌い」という
タイトルの本が置いてあった。
私も「愛」という言葉は抵抗があるけれど、
それは魚が「水なんて大っ嫌い」ということに
似ていると思う。
生命力は愛や慈しみだ。
育む力で、それ無しには生物は生きて
いけない。
人はパンだけで生きるにあらず、だ。
子供は、愛という言葉は知らなくても、
自分を生かすこのエネルギーのことは
知っている。
シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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あたりまえ共同幻想
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2014.12.05 Friday 17:06シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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泣く理由
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2014.12.04 Thursday 17:03シンプルなヨガと瞑想で
体と心を元気にする
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